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尾崎裕哉の「I Love You」に感動


I LOVE YOU 尾崎裕哉氏

 

FBのフィードに流れてきた、尾崎豊の息子、尾崎裕哉のI Love Youを、きいて、思わず涙してしまいました。

まずは、きいてみてください。

 

 

尾崎豊の思い出

尾崎ハウス

わたしは東京では足立区に住んでいました。最寄り駅から自宅に行く途中に、尾崎豊が庭先で亡くなっていたという民家、通称「尾崎ハウス」があったのです。毎日、その前を通りました。

豊の死後何年も、ファンが追悼に訪れ続けていた「尾崎ハウス」は、その民家の改築にともなって、数年前に閉鎖されています。

 

「I Love You」の思い出

わたしが、豊ファンになったのは、「北の国から ’87初恋」がきっかけでした。ドラマの主人公の純は当時中学3年生で、わたしもほぼ同世代。純が、初恋のれいちゃんと、自転車を押しながら歩くシーン、雨宿りのシーン。夜逃げしたれいちゃんが置いていったウォークマンに入っていた「I Love You」。うーん、胸がキュンキュンします。

その後、豊が歌っている「I Love You」のビデオを、シリアで日本語を教えている時に、クラスで見せたこともあったっけ。

豊の、みているこちらが恥ずかしくなってしまうほどの、堂々とした、感情とまっすぐにつながった表現、聴く人の心にまっすぐ訴えかけてくる声。これは、本物の天才だと思ったものでした。

 

尾崎裕哉さんの心境を想像する

尾崎裕哉(ひろや)さんの存在を、わたしは今回この歌で、初めて知りました。この歌をきいて、どんな人生を歩いてきて、どんな心境で父親の歌を歌っているのか、気になったので、検索しました。

 

こちらのブログに、2014年5月に朝日新聞の「おやじのせなか」コーナーに掲載された記事の画像が出ていました。

 

blogs.yahoo.co.jp

 

父であるロック歌手、尾崎豊が26歳で亡くなった時、まだ2歳9ヶ月でした。自宅の寝室に入ると父がベッドの上で眠っている。父の記憶といえばこの光景がうっすらと浮かぶだけです。

5歳で母と米国へ移住しました。母からは父の歌を聞けと言われたことはありません。

(中略)

尾崎豊を父に持ったことのプレッシャーはありました。同じ道を歩めば、なかなか前へは行けない。別の道を探ることで肩を並べられると感じています。

 あと2年で父が亡くなった年齢になります。母からは、そそっかしいところや「なるほど」という口癖がそっくりと言われます。父のお陰で、多くの人との出会いがある。僕の人生の70%は父からのプレゼント。残りの30%、その種を育てるのは僕自身の努力にかかっています。

(後略)

(朝日新聞記事「おやじのせなか」尾崎裕哉より)

 

尾崎豊ほどの歌手を父親に持ち、そして、この声を持っている彼には、周囲からの関心や期待、ビジネスに利用しようとする人など、たくさんのノイズがあることを想像します。

その、ノイズの中で、自分の人生の軸を定めるのは、とても難しいことなのではないかと想像します。

人前で尾崎豊の歌を歌う、ということにも、葛藤があったのではないかと、想像するのです。

 

しかし、この記事の中で、彼が語っている「残りの30%、その種を育てるのは僕自身の努力にかかっています」という言葉には、落ち着いた、静かな、そして腹の据わったイメージを感じました。

そして、彼の「I Love You」をきいた時に涙が出たのは、そんな彼の、気負いのない落ち着いた姿勢から、何かとても純粋なものが、心に響くものが伝わってきたのだと思います。ただ、豊の声に似ているから、という以上のものがある。

 

「別の道を探る」と書いているので、今後、歌手としての活動をするのではないのかもしれませんが、裕哉さんの人生を、ひそかに応援したいと思います。

 

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