旅人の書

旅するように生きよう。

今、モロッコでしたいこと

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わたしは、去年の7月に、約10年間続けた開発コンサルタントの仕事を辞めて、10月にモロッコのシディイフニに引っ越してきました。

 

きっかけは、去年の5月に出張で、シディイフニを2回目に訪れ、郊外の丘を車で走っている時に、「ここに住んで、この丘を自転車に乗って走って暮らしたい!」と強く願ってしまい、そうしている自分の姿をありありと思い描いてしまったことでした。

 

そして、いま、わたしは、特に仕事もせずに、とにかくシディイフニで「暮らす」ということをしているのですが、ここで、何がしたいのでしょう。自分でも、時に、見失いそうになるので、書いてみようと思います。

 

わたしは幼い頃から、「遠いところに行きたい」、「みんなが行くようなアメリカやヨーロッパでなくて、もっと違う、あまりよく知らないところに行きたい」と思っていました。そして、中学生の頃、世界の中には、貧困や飢餓で苦しんでいる人々がいることを知り、アフリカの広い大地で、日本人と現地の子供たちが笑顔を交わしているような青年海外協力隊のポスターを見て、「青年海外協力隊に行きたい!」、「途上国の人々の役に立ちたい!」と憧れるようになりました。

 

その頃は、今のように「開発学」、「国際協力」などを専門とする学部があまりなかった(またはわたしがそれを知らなかった)ので、大学では日本語教育学を専攻し、日本語教師として青年海外協力隊に参加しました。

 

そして、今から約20年前に、シリアの首都ダマスカスで2年暮らし、想像以上に発展した大都会のダマスカスで、長い歴史に洗練された文化や、明るく生き生きと充実した日々を暮らしている人々に出会い、「あれ、想像していたような、貧困に苦しんでいる国や人々ではないのね」、「都会の暮らしは、日本や他の先進国の暮らしと、あまり変わらないのね」と、驚いたことを、懐かしく思い出します。

 

その後、開発コンサルタントとして、いくつかの国でJICAの技術協力プロジェクトに関わる機会を得ましたが、「絶対的な貧困で、常に絶望的に不幸な国や人」という状況には、出会ったことがありません。

 

誤解のないように付け足すと、もちろん、日本の平均に比べてずっと貧しい人々、不便な状況は、たくさん目にしました。子どもの物乞い、学校にトイレがない、教材がない、停電の頻発、不潔な病院、産業が乏しく高い若者の失業率、などなど、もう少しなんとかなれば、ということに多々出会いました。しかし、そういう状況の中でも、多くの人々は、絶望せずにそれなりにたくましく日々を生きていました。「貧困にあえぎ支援を必要としている人」というイメージとは、少し異なったのです。

 

わたしは、自分が「途上国の、困っている人の役に立ちたい」と願ったのは、ステレオタイプの先入観に基づく認識だったと気づき、そして、開発コンサルタントとして働く以上は、二つの限界があることに気づきました。

 

1.ODAの技術協力プロジェクトは、国と国との合意に基づく協力で、主にその国の行政の強化を目的として、国の制度作りや公務員の人材育成などを行うもの。そのため、日常的に活動をする場所が首都での役所だったり、日々交流する人々は、公務員が中心となる。より、草の根レベルの一般人や貧困層の暮らし、村落部の生活に触れるチャンスは少ない。つまり、本当に困っている人々に、あまり出会えない。

 

2. 日本であっても途上国であっても、人々は、それなりに、日々の生活を営んでいる。一人の人でも、時には充実した幸せを感じており、時には困って苦しんでもいる。外国や行政からの支援があればもっと生活が良くなるというのも事実かもしれないが、支援がなくてもそれなりに暮らせているというのも、また事実。さらに、同じ場所に住んでいても、一人一人状況も性格も異なる。それを、「人々は◯◯の問題を抱えている」とまとめることは、やや大雑把すぎる。

 

国民の税金を財源としているODAの国際協力プロジェクトに、開発コンサルタントとして関わる以上、この制約は、どうしても仕方ないことなんです。

 

その国の末端にまで行き渡るような支援をするのは、その国自身の役割で、外国からの支援は制度や人材強化をするのが、自治や主体性という観点から必要だし、効率も良い。そして、国が税金を財源としてプロジェクトをする以上は、大義名分が必要で、大枠での問題点を捉え、その問題解決をするためのプロジェクトを定義し、予算配分する必要がある。そこでは、ある程度、割り切って最大公約数を取るように決める必要がある。それは、とてもよくわかる。必要なことだし、批判するつもりはない。

 

しかし、わたしが一人の人間として、もともとわたしが興味を持ったこと、やりたいと思ったことに立ち返ってみた時に、上の2点の限界に、一人の人間として改めて、自分で向き合ってみたかったのです。

 

つまり、もっと村落部の僻地に行けば、もしかして、もっと「困っている人」、「支援を必要としている人」が、いるのではないか。そして、そういう僻地に行った時に、人々は、実際に日々、どういう暮らしをしていて、どういう希望を持っていて、どんな問題に困ったり、どんな風に自分たちの工夫で対応できているのか。自分で出会って、実感してみたい。その上で、何か自分にできることがあるのかを探したい。ひとりひとり少しずつ違うと思うので、できるだけ、たくさんの人に出会いたい。

 

その時に、いままでのJICAプロジェクトのコンサルタントとしての仕事のように立派な運転手付きの車で、「外国から支援をしに来た人」、「問題解決に取り組む人」としてやってきて、短時間で視察、聞き取りをするような出会い方ではなく、ただの普通の一人の人間として、手ぶらでじっくりと出会いたいのです。

 

だから、わたしがしたいことは、やっぱり、「この丘を自転車に乗って暮らすこと」なんですね。

 

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