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成長する意思が感じられない人

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自分の中にあるマグマのような怒りを出してみるシリーズ 第2弾

知人や友人を攻撃するようなことをしたくない、お世話になった人に恩を仇で返すようなことをしたくない、と思うと、これを書くのはドキドキします。でも、わたしの中の、マグマを出してみると決めたのだ!

 

わたしは、「成長する意思のない人」が嫌いです。

 

・・・いや、こう言い換えようか。こちら「成長したい人」、あちら「成長を支援する人」という大まかな役割があるのは仕方ないとして、その中にガチガチにはめ込まれ、「成長を支援する人」の側には、まったく、成長の意思が感じられないのが嫌い。

 

ちょっとわかりにくいですね。

 

具体的には、こういう場面です。

 

コーチング、カウンセリング、コンサルティングを受ける、または、セミナーやトレーニングを受けるという場面。

 

わたしは、お金を払って、そのサービスを依頼するクライアントや受講生の立場として、その場での経験を通して、自分の「成長」や「変化」を求めています。サービスを提供する側の、コーチ、カウンセラー、コンサルタント、講師などの立場の人には、その人の、知識、技術、能力、経験、意欲、関心、エネルギーなどなど、持てるものを駆使してもらい、その「成長」や「変化」を支援してもらうことを期待しています。

 

そんな時に、そのカウンセラーや、講師に、その場の経験を通して、自分自身もさらに成長しようとか、改善できる点をみつけより良いサービスを提供しよう、という意思が感じられない時が、とてもいやなのです。

 

特にね、こういう人に何人か、出会いました。「わたしは、特に、事前準備などは、しないのです。その場で、起きることに任せています。必要なことが必要な時に起きるのです。」などと偉そうに言い放つ人。そういう人に限って、終了時のアンケートなどもなし。

 

こちらはサービスを受ける立場として、「ここがもう少しこうだったらいいのに」、「あれだけ払った時に、こんな程度なのか?」というような不満や、もっとここをこう改善してくれたらという提案を抱いたとしても、それを伝えるチャンスさえも与えられない。終了後に、雑談の時間があったとしても、「すごく良かったです〜」などという感想をいう多くの人の中、批判的なコメントをするのは勇気がいることなので、たいていは、まあ、いいかと諦めてしまいます。それにより、本音が伝えられなかったというストレスがさらにたまる。

 

「必要なことが必要な時に起こった」となるのは誰のため?サービスを受ける立場の人にとって、そうならなければ、意味がないのではないですか?

 

サービスを与える側の、自己満足や、ランクの濫用、同調圧力によって、「必要なことが必要な時に起きる」などともっともらしいことを言いつつ、率直な(耳の痛い)フィードバックを得ることや、さらなる成長や改善に挑むことや、入念な準備をして臨むことを怠っているなら、それは、傲慢でしかないと思います。

 

そういう傲慢は、クライアントの側にもどうしても伝わってしまうもので、「自分は上、クライアントは下」という固定した上下関係、過激な言い方をすれば、クライアントをバカにしていることが伝わってしまい、それは、潜在的には、「あなたが、どんなにあがいても、わたしには、かないませんよ」というメッセージとなって、クライアントの成長を妨げることにもなりかねないと思います。

 

わたし自身が、競争社会の中で、勝ち負けにこだわる人間として育ってきてしまったので、「自分が上に/下に見られている」というようなことには、とても敏感です。自分自身、「相手が自分より上か、下かと」いうような物差しで、すぐ相手を評価する視点を持ってしまう傾向があることを、自覚しています。

 

自分が、今まで、講師、コンサルタント、会社の上司など、役割上、ほかの人の成長を支援する立場に立った時に、自分自身の成長の必要性を脇においてしまっていなかったかと、反省する点も、多々あります。

 

だからこそ、わたしは、おかしいな、と思った時には、声にしていきたいのです。他人のことを批判するためだけではなく、自分への戒めのためにも。

 

わたしは、今後、役割上、他人の成長や変化を支援する立場に立ったとしても、それはあくまでもその場面に限定した役割上のこととわきまえ、率直なフィードバックを受け入れる態度を忘れず、謙虚に自分自身の成長や変化に向き合っていきたいと思います。

 

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