辺境カフェ café frontière

辺境を愛する旅人の書

傾聴しないカウンセラー

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自分の中にあるマグマのような怒りを出してみるシリーズ 第3弾

言いたいことが溜まっていたのか、どんどん、調子が出てきました。

 コーチングやプロセスワークへの興味

 わたしは、数年前から、コーチングやプロセスワークに興味を持っています。

 コーチングといっても、わたしが興味を持っているのは、スポーツやビジネスなど限定された分野での能力開発や課題達成を目指すものではなく、もっと広く深く、人生全般を扱う手法。潜在意識も含め、自分の内側にある願いや声に耳をかたむけることで、知らず背負ってしまっている余分な荷物を降ろして軽くなったり、流れが滞っていた人生の川が、スムーズに流れ始めるような手法に興味を持ち、トレーニングを受けたり、自分自身がコーチング・カウンセリングを受けたりということをしています。

 まだまだ、勉強中の身ですが、ゆくゆくは、プロとしてコーチングやプロセスワークのファシリテーションが提供できるようになりたい、という願いを持っています。

 しかし、コーチング、カウンセリングのような人の心を扱う仕事で、プロになるということには、大変な繊細さがあると考えています。特に、クライアント側は、心が弱っている時、本来の力が発揮できなくなっている時に、助けを求める気持ちで、コーチやカウンセラーに依頼をすることが多いからです。

 

コーチング・カウンセリングのプロの条件とは

プロの条件として、①「職業として対価を得て商品・サービスを提供する(=無償でない)」、②「クライアントに満足を与えられる品質管理」という二つの側面があるとします。(プロの条件には、もっと他の側面もありそうですが、ここでは、この二つに着目します)

 ここで、この①と②は、強く関わりあう両輪。つまり、②があるからこそ、①が存在し得ると、本来はなるはずです。しかし、コーチング、カウンセリングの業界では、①だけが先走り、②がおろそかにされているケースがあるのではと、危惧を抱いています。

 特に、コーチやカウンセラーは、多くの場合、個人として営業しています。すると、申し込みから相談のプロセス、事後フィードバック、支払いなど、一連のプロセスを通して、第3者が介入することがありません。そして、そこで扱われる相談内容は、極めてプライベートなものなので、クライアント側は、心理的に「弱みを握られた」という状態になります。

 もちろん、コーチ、カウンセラーには「守秘義務」があって、話された内容を決して他で漏らさないということになっています。そこで、最低限、自分の話がバラされることはない、という安心は確保されるわけですが、それだとしても、やはり、自分の弱いところを見せた相手に対して、心理的に弱者のような気持ちになりがちだと思うのです。

 するとどういうことが起こるか。コーチング・カウンセリング経験を通して、何か不満を抱くクライアントさんがいたとしても、自分の方が悪かったのだと引き下がり、不満や苦情を伝えにくくなるのではないか。第3者に対して、そのコーチ、カウンセラーの批判をするということも、しにくくなると思っています。

 

無自覚な搾取

クライアントはお金を払って、コーチ・カウンセラーに依頼をする。そこで起こったことに不満を抱いた場合でも、お金は戻らず、それどころか、下手をすれば、自分が何か間違っていたのだという無力感や罪悪感を抱かされる。つまり、コーチやカウンセラーは、ひとつ間違えれば、自分を頼りにしてくれる人から、お金やエネルギーを搾取することになりかねないと、よく自覚して自己管理をすべきだと考えています。

 ここで、わたし自身が受けていたカウンセリング経験を書きます。

 わたしは、初めのうち、そのカウンセラーさんを信頼し、ワークショップの場で話を聞いたり、グループワークのファシリテーションをするのを見て、とても有能な人だと尊敬の気持ちを持っていました。しかし、自分自身のカウンセリングセッションを通して、「その人にどう思われるか常にとても気になる」とか、「わたしに対して手抜きをしている気がする」とか、「その人に気に入られなければならない、褒められたいと思ってしまう」という心理的な切迫感が出てきた時期がありました。

 このように依存してしまうのは、わたしの側に、親との過去の関係を投影しているとか、自分のトラウマからくるコントロールドラマを繰り返しているなど、わたし自身の原因で、カウンセラーさんに問題があるわけではないと考えようとしていました。

 心理学では、そういう症状は「転移」と呼ばれ、それを治療や成長に役立てることができるということを知り、そのカウンセラーさん自身に「転移」がつらいと、セッションで相談したこともありました。

 しかし、あるきっかけから、他の複数の人も、そのカウンセラーさんとの接触を通して、苦しみを経験したり、エネルギーを奪われるという経験をしていたことがわかりました。

 確かにそのカウンセラーさんには優れた点があります。例えば、科学者のように客観的でニュートラルな位置にたって全体を俯瞰し、冷静にその場が求める質問を繰り出す能力。

 反面、その人の欠点、または、少なくともわたしに対して怠ったのは、人間的な興味をもって、わたしの話に耳を傾け、共感しようとする態度だったと思っています。一言で言えば、わたしに対しては「傾聴ができない・傾聴をしないカウンセラー」だった。
そのカウンセラーは、意図的にせよ無意識にせよ、傾聴すること、そして傾聴に基づく信頼関係づくりを怠って、クライアントの側の不安や飢餓感をあおり、自分に対する興味関心を惹きつけようとしたということが起こったと分析しています。
 
わたしは、当時、そのカウンセラーさんのことを
 
・わたしにはあまり関心がない
・わたしのことをあまり大切ではないクライアントと考えている
・人間の成長におけるランクが低いと、見下されている
・わたしから何かを学ぶつもりはない
・わたしの話に必要以上に巻き込まれないように注意深く警戒している
 
というように感じていました。
 それによって、不安、飢餓感、孤独を感じました。他の人がそのカウンセラーさんのことを素晴らしいと褒めるのを見れば、いっそう、わたしに何かが足りないのか、わたしがおかしいのかと不安になりました。
 
わたしの方が一方的におかしいわけではなかったのかも、と気づいた後、そのカウンセラーさんに対し、「わたしはこのように感じていました」ということを、率直に書いてメールで送ってみました。それに対する返事はありません。そのことでも、自分は軽く見られた、わたしの声はなかったことにされてしまったという無念を感じました。
できるだけ冷静な言葉で伝えたつもりではありましたが、わたしの中には実際に、「搾取された」、「奪われた」という怒りもあり、カウンセラーさんの側に立てば、わたしの言葉は、暴力的に聞こえたかもしれません。こういうクレイマーには、ただ距離をとるに越したことはない。という対応をされているのかなあと感じます。
 
カウンセラーといえども人間です。クライアントによって、合う、合わないや、好き嫌いもあるでしょう。または、自分のトラウマとの組み合わせで、この人の話を傾聴するのは危険だと、本能的に感じる相手がいるのかもしれません。しかし、そういう場合に、本当の傾聴をしないで、巻き込まれないように適当にごまかそうとしても、それはクライアントには、ばれてしまうものだと思うのです。
  

プロとしての自己管理

プロとしてサービスを提供する以上は、自己管理が求められます。
コーチングやカウンセリングセッションの相場は、1時間あたり1万5千円以上など、高額になる場合が多く、クライアントがその対価を支払う理由は、コーチ・カウンセラーの時間を拘束しているからだけではないと、わたしは思っています。
もちろん、コーチング・カウンセリングなどの体験から、何を経て、どう成長するかは、最終的にはクライアント自身の責任ではあります。クライアント本人が、変化しよう、成長しようと決めて行動しない限りは何も変わらない。
しかし、クライアント側は、コーチやカウンセラーに対して、自由にものを言えない弱い立場になりかねない。そこで、コーチ、カウンセラーの側が、そういう上下関係が生じて、クライアントが本心を言えていないと感じ取ったら、それに対してなんらか対処するとか、効果的にクライアントの成長・変容支援ができていない、クライアントに対しマイナスの影響を与えてしまっている場合には、それを自覚して、契約の解除(他のコーチ、カウンセラーの紹介など)、返金などを含めた対策をとるとか、そういうプロとして、成果を求める厳しさや、自己管理が必要だと思うのです。
 

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補足:「傾聴」について

わたしは、2015年8月、9月に愛と桃舎の畦倉充隆さん、畦倉美佳さんより、「アクティブリスニング徹底マスター講座」Level 1, 2(計4日間)を受講しました。わたしにとって、「本物の傾聴」とはここで学んだこと。リラックスした場の中で、話し手と聴き手の身体感覚が溶け合って、そこから何かが生まれ出てくる感覚というか。。。

 

お二人が、とても実践的に指導してくれるその傾聴の感覚については、プロコーチ溜香世子さんが、Facebookでとても的確に表現した記事を書いてくださっているので、下記リンクをご参照ください。

傾聴・・異質なものが出合うこと