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辺境を愛する旅人の書

アラビア語の歌、歌ってみませんか? カリマート KALIMAAT (WORDS)

今は、モロッコのアラビア語を勉強中ですが、20年前にシリアに住んでいたとき、標準アラビア語(「正則アラビア語」、「フスハー」ともいう)を習いました。

 

シリア方言は、標準アラビア語に近いのです。ダマスカスって、「アラブの京都」みたいって、思っていました。オールドダマスカス(旧市街)の街並みの美しさとか、ちょっとはんなりした柔らかい言葉の感じとか。

最近、平和だった頃のシリアが懐かしい、との思いが募ります。

カリマート KALIMAAT (WORDS) by Majida el Roumi

シリアにいた頃、Majida el Roumi (マジダ ルーミー)というレバノン人の女性歌手の「カリマート」(「言葉」、「WORDS」という意味。「Word」が「カリマ」で、複数形が「カリマート」です)という歌が気にいり、アラビア語の勉強も兼ねて、CDを買い、シリア人の友だちに、歌詞と意味を教えてもらって覚えました。

モロッコで、その歌を口ずさんだら、みな知っているから、モロッコでも人気だったみたい。

歌詞をうろ覚えになってしまっていたので、改めて調べてみました。

そうしたら。おお! ちょっとした、感動です。この旋律も、歌詞も、あらためて、素晴らしい。

マジダ ルーミーが2010年にテュニジアのカルタゴで、ライブで歌っている映像が、とてもよくて、何回もリピートしました。Youtubeって、便利ですね。

まずは、とにかく、ぜひ、ご覧ください!

youtu.be

一緒に歌ってみよう!

自分で歌うために、歌詞をカタカナで書きおろしました。よろしければ、みなさんも、ちょっと、口ずさんでみませんか。

(実際の歌は、繰り返しが多いですが、繰り返し部分は、一度だけ書いています。)

ユスミアオニー ハイナ ユラーキスニー
カリマーティン ライサット カルカリマート
(わたしと踊りながら、彼はわたしにささやく
その言葉のままではない言葉を)

 

ヤーホズニー ミン タヒト ディラーアイー
ユズラウニー フィー アハダル ガイマート
(わたしの腕のしたに手をやって、引き寄せて、
彼は、わたしを ひとつの雲の中に植える)

 

ワルマタルル アスワド フィー アイニー
ヤトサーカト ザハーティ ザハーティ
(そして、黒い雨が、わたしの瞳の中で
ザーザーと 降っている)

 

ヤフミルニー マアフ ヤフミルニー
リマサーイン ワルディー イッシュルファート
(彼はわたしを運んで、彼といっしょに
バラのバルコニーの夕べに連れていく)

 

ワ アナ カットゥフラティ フィー ヤディヒ
カッリーシャッティ タフミルハ ナサマート
(わたしは彼の腕の中で 小さな子どものよう
そよ風に運ばれる羽毛のよう)

 

ユフディーニー シャムサン ユフディーニー サイファン
ワカティア スヌヌーアート
(彼はわたしに 太陽をくれる。夏をくれる。
ツバメの群れを。)

 

ユフビルニー アニー トッファトフ
ワ アサウィ アラファ ナジュマート
(彼は わたしは、彼の貴重な芸術で、
千の星のように価値があると言う)

 

ワビ アンニー カンゾン ワビアンニー
アジュマルマー シャーハダ ミン ロウハ
(そして、わたしは宝物で、わたしは、どんな
絵画よりも美しいと言う)

 

カリマート カリマート カリマート カリマート
(言葉、言葉、言葉、言葉・・・)

 

ヤルウィー アシヤアト ダウウィフニー
トンシーニ ルマルカサ ワ ルハタワ
(彼の言葉で、わたしの意識はぼんやりして
ダンスもステップも忘れてしまう)

 

カリマーティン タクリブ ターリーヒー
トゥジャアルニー イムラアタン フィー ラハザート
(言葉はわたしの歴史をひっくり返して
一瞬の間、わたしを女にもどす)
 
ヤブリーニー カスラン ミン ワハミン
ラー アスコノ フィーヒ シワー ラハザート
(彼は、わたしに、幻の宮殿をたてる
そこには、わたしは住んでいない。一瞬の間しか)

 

アーウードゥ アーウードゥ リ ターウィラティ
(わたしは自分のテーブルに戻る)

 

ラー シャイ アマアイー 
(わたしはなにひとつ持っていない)

 

イッラ カリマート
(言葉しか)

 

カリマーティン ライサット カルカリマート
ラー シャイ アマアイー 
イッラ カリマート
カリマート
(言葉は、その言葉のままではない。
わたしは言葉だけしか、持っていない。言葉・・)

 

わたしの解説

この歌詞も音楽も、本当に素晴らしいので、 ここのところが、こんな風にいいよねーと、語りたい気持ちがいっぱいなのです。

ただ、音楽や芸術作品を語るほどの自信がないし、言葉を重ねることで、芸術を愛でるのは、ちょっと野暮かしら、とも感じます。人の好みはいろいろある、アンテナもいろいろ、なので、感じ方も解釈もいろいろできるのが、芸術の素晴らしさ。

それは、承知の上で、やっぱり書かずにはいられずに、少し書かせてください。

 

音楽は、静かでロマンティックな響きから、アラブダンスのきらびやかさに次第に登りつめていきます。そこに、まるで演歌のように人生を悲嘆するトーンもあらわれて。間奏を上手に使いながら、音楽のトーンが盛り上がったり、変化したり。でも、あくまで自然なつながり。歌詞も、音楽も、静かに始まり、どんどん高揚していき、我を忘れたようになって、そして、最後には、静かにふっと我に帰る。

 

歌詞は、前半は、「彼が、わたしに何をする」、「彼がわたしを何する」、という動詞がひたすら並びます。そして、自然情景の描写。情景描写は、すべて比喩で、イメージの世界。「わたし」の心情描写です。

「ユ」「ヤ」「イ」などの「Y」の音ではじまって、「ニー」で終わってる単語が、「彼がわたしに◯◯をする。」という動詞。「ユスミアウニー」「ユラーキスニー」「ヤーホズニー」「ユズラウニー」「ユフディーニー」・・・

彼のなすがままに、夢のような世界がうっとりと描かれていく。それを重ねながら、階段を、一歩一歩のぼっていく。心が高揚していく。

 

そして、中盤の「ユフディーニー シャムサン、ユフディーニー サイファン」(彼はわたしに 太陽をくれる。夏をくれる。)のあたりまで登りつめると、その高揚したわたしの「生命」は、力強く走り出す。もう、そこまでくると、彼のなすがままの、無力な幼子という感じでは、なく。

 

「カリマート カリマート カリマート カリマート(言葉、言葉、言葉・・・)

との、中盤のシャウト。パワフル。彼の言葉でうっとりしたわたしと、「言葉通りではない」とうたがう悲観的なわたし、そのはざまで、高揚したわたしの「生命」が叫ぶ。

 

そして、終盤は、冷静な観察者の大人のわたしが、しだいに現実をみつめる。

ヤブリーニー カスラン ミン ワハミン
ラー アスコノ フィーヒ シワー ラハザート
(彼は、わたしに、幻の宮殿をたてる
そこには、わたしは住んでいない。一瞬の間しか)  

最後に、「わたし」は、彼とのダンスを終えて、テーブルに戻ります。歌も、旋律も、一旦、ゆっくりと静かに、収束しますが、一番最後に、もう一度、力強くうたいあげます。

カリマーティン ライサット カルカリマート
ラー シャイ アマアイー 
イッラ カリマート
カリマート
(言葉は、その言葉のままではない。
わたしは言葉だけしか、持っていない。言葉・・)

 「ラー シャイ  アマイー イッラ カリマート(わたしは言葉だけしか、もっていない」冷静なわたしは、気づいてしまったのだけれど、でも、嘆いていたり、恨んでいる感じではなく。うっとりとした時は去って、我に帰っているけれど、生命の高揚感は、力強く残る。

大人の女性は、このように、生命を高揚させ、輝かせるために、恋するのではないでしょうか!

 

おっとっと、意図せずわたしの恋愛観を語る、みたいになってしまいました。

とにかく! KALIMAAT、とてもいい歌なので、みなさんにも聞いてみてほしいと思います!

 

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