辺境カフェ café frontière

辺境を愛する旅人の書

わたしは、ジャッキーチェンではない。

ジャッキーチェンはどれだけ人気者なんだ?!

モロッコに以前住んでいた15年前も、今も変わらず、首都のラバトでも、いなか町のシディイフニでも、どこでも、道を歩けば、かなりの確率で、子どもに、「ジャッキーチェン!」と声をかけられる。

 

 

これは、モロッコに限らず、今までわたしが行ったことのある多くの国で(さすがに先進国では、子どもが知らない人に声をかけてくることは少ないものの、途上国のほとんどで)、ジャッキーチェンと呼ばれる。ジャッキーチェン、国境を越え、世代を超えた知名度がすごいな。ジャッキーチェンは、ほんとにすごいよ。大スターだよ。でも、今どきの子どもは、果たしてリアルタイムでジャッキーチェンの映画を見たことがあるのか?!さらに、中国系の顔だちをみたら、道路でもどこでもジャッキーチェンと呼びかけよう、というキャンペーンを誰がいつしたんだ?その、徹底度がすごい。都会からいなかまで、いつでもどこでも。手洗いやうがいの普及に苦労している人が、その徹底ぶりをうらやましがるだろうよ。

 

でも、嫌なのです。

しかし、わたしは機嫌が悪くなるのだ。

 

「ジャッキーチェン!」というのは、まだマシな方。一番きらいなのは、「シノワ!」と、蔑すんだような声を投げかけらる時。そして、「チェン!チャン!チャオ!」とかなんとか、わけのわからない言葉で叫ばれる時。小学校中学年から、高校生ぐらいの年頃の子どもが集団で歩いている時が、危険だ。たいてい、遠くから、かなり大きな声で、ニヤニヤ、クスクス笑いながら、叫ばれる。最近、高校のすぐ近くに引っ越してしまって。通学の時間には、子どもたちの数人のグループが、次々に通る。そんなところに出くわしてしまったら、何度も何度も叫ばれる。それが嫌だから、もう、引きこもりになるよ!、なーんてことはないが、時間と道を選んで、外出するようになった。

 

はじめて海外暮らしをした約20年前も、やっぱり、これが嫌だった。その後、出張ベースで海外に出るようになった時は、だんだん、そんなことはたいして気にならなくなった。今は、出張ではなくて、観光でもなくて、この町に住んでいる、という気持ちなので、またこれがずいぶん気になるようになった。

 

だって、わたしはこの町で、この町のペースに溶け込んで生活をしているつもりで、土地のことばもそこそこ話せるようになって、だんだん馴染んできたかな、受入れられているかな、愛されているかな、と、だんだん居心地よくなってきているのに、「シノワ!」と叫ばれたとたんに、そんな居心地よい想いは幻想で、わたしはめずらしい動物かなんかで、からかいの対象で、人間としての尊厳が認められず、尊敬にも敬愛にも値しないのか、と、まあ、大げさに言えば、そんな気持ちになる。

 

日本に長く住んでいて日本語もわかるような外国人の人が、いつまでたっても「ガイジン!」と呼ばれるのが嫌だ、というのは、ちょっと似た感覚なんじゃないかなと想像する。

 

「日本人は、中国人が嫌いなのか?」

モロッコの友人たちに、「シノワ!」と馬鹿にされるのが嫌だと話すと、たいてい、「中国人がきらいなのか?日本人と中国人は仲が悪いのか?」と聞かれる。

 

うーん。

 

正直にいうと、そうね、一緒にされたくない、という気持ちはあるね。そもそも、「◯◯人」というような単位で、好きか嫌いかを語ることは乱暴で、そのこと自体が好きではない。しかし、「シノワ!」と呼ばれて、不快になっている自分の気持ちをひもといてみれば、中国人と一緒にされたくない、日本と中国は違う国!ひとまとめにされるのがいや、という感情がある。

 

それを、認めた上で、でも、ポイントはそこではないんだよ。わかってくれ。じゃあ、「ヤバニーヤ!(日本人)」と、同じような調子で叫ばれるのなら、良いのか?それでもいやだ。からかうようなバカにしたような口調で、面と向かってでなく、通り過ぎた後で、後ろからとか、ちょっと離れたところから叫ばれる、クスクス笑いをされる。その無礼な態度がいやなんだ。

 

教育的指導にとりくむ。

ということで、子どもの集団には出くわさないに限る、からかわれたら無視するに限るのだけれど、気が向いたとき、子どもの数が少なかったり、女の子だったり、こちらに余裕や元気があるとき、もしくは、とてもイラッ、ムカッと来たときには、教育的指導をしている。

 

どうやるかというと、呼ばれたら、まず、立ち止まって、振り返って、相手の顔をじっとみて、「何?」と、答える。アラビア語で。そこでの子どもたちの反応次第だけれど、次に、こちらから近づいていって、名前を聞く。すると、子どもたちが、照れながら、名前をいって、「ハロー」とか「テュ エ ベル(あなたは美しい)」とか、そういう知っている外国語でしゃべろうとしてみたり、わたしに「アラビア語しゃべれるの?」と質問したり、となってくれば、もう、それはコミュニケーションなので、わたしの名前もおしえて、「ちゃんと礼儀正しく話しなさい。」とか、教育的指導をして、バイバーイと別れる。すると、一度、話した子は、次は「あきこ!」と呼びかけるようになって、それはそれでびっくりするけれど、まったく不快ではない。

 

先日は、二人の小学校高学年の男の子。ちょうど、そのときは、わたしは家にのれんをかけようと160cmぐらいのステンレスの棒を買ってきたところだった。「チン、チャン!」とか、明らかに、からかうように呼ばれたので、カチンときて「何?」と、こちらから、グイグイ迫っていった。怒り口調で、「あんた、名前は?」と聞いたら、ビビって小さい声で、名前を言った。

子ども「アラビア語しゃべれるんだね。。。」

わたし「しゃべれます。だから、ちゃんと言葉で話しなさい。チン、チャン!とかいうのは、C'est pas polis! (無礼だ!)」

と言ったときに、力がはいって、持っている棒が、ぐいっと動いたんだよね。子どもが、びくっとびくっと、縮こまって、よけた。

 

いやいやいや。さすがにお姉さん、棒で殴ったりはしないから!殴るふりしたわけでもないからね!

 

と、言いたかったのだけれど、わたしの語学力では言えなかったので、「わかったか?」「わかりました。」とだけ話して別れた。背中の方で、その子が、連れのもうひとりの子に「アラビア語がしゃべれるから、アラビア語で話しなさいって言われた」とか、説明しているのが聞こえた。まあ、いい子じゃないの。ショック療法、効果ありすぎたかしら。

 

うむ。しかし、もし、ほんとに、ジャキーチェンだと思われているならば、この教育的指導は、想像以上に、とても効果的だったのかもしれない。教育的指導なのよ〜。児童虐待じゃないのよ〜。

 

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