先日、宮崎駿さんが「面倒くさい、面倒くさい」と言いながら、絵コンテを書いていたという話に感銘をうけたという記事を書きました。
その後、引き続き、「面倒くさい」について、いろいろなことを考えてたり、思い出したりしています。とても、いろいろなことが、浮かんでくるので、まだまだまとまらないのですが、整理するためにも、書いてみようと思います。
おもに、以下のようなことを考えています。
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ほとんどのことが、正直言えば、面倒くさい。
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「面倒くさい」と言う人のほうが、心から信頼できる。
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「面倒くさい」と言いながらやるのと、「面倒くさい」と言ってやらないのは、えらい違いだ。
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旅をしている途中や、空港や駅にいる時には、面倒くささを感じない。
ほとんどのことが、正直言えば、面倒くさい。
わたしは、正直言って、面倒くさがりやです。何が、面倒くさいって、いちばん面倒くさいのが、朝起きることです。さらに、夜寝るのも面倒くさいです。それらを筆頭に、出かけるのが面倒くさい、人と会うのも、食事のご招待も、親に連絡するのも、ブログを更新するのも、何か新しいものを作りはじめるのも、たいてい、面倒くさい。
それから、人付き合いも、コミュニケーションも、正直言って、面倒くさいです。たとえ、気のおけない相手とでも。さすがに、恋愛のはじめは、例外で、ぜんぜん面倒くさくないけれど。
新しいことを学び始めることも面倒くさいです。セミナーにいくとか、セッションを受けるとか、も面倒くさいです。
仕事に関しては、パソコンを開くことに始まり、メールをすること、電話をすること、資料を作ること、会議に出ること、もう全面的に、面倒くさいです。
「本当に、自分の好きなこと、自分にむいていることなら、面倒くさくないはずだ」と思っていましたが、それは、たぶん、違いますね、わたしにとっては。なんでも、動き始めるということ自体が面倒くさい。摩擦がかかる。でも一旦、動き始めると熱中するので、それを止めることも、面倒くさくなる。モードの変更自体が面倒くさい、っていう感じかな。
「面倒くさい」と言う人の方が、心から信頼できる
でも、面倒くさいなんて言わない人・言わなさそうな人も、いるなあ。とても、生き生きと行動力があったり、切れ味抜群だったり、誠実さが満点だったり。そういう人に憧れたり、そういう人と自分を比べて、劣等感を抱いたりすることがあるけれど。
でも、ちょっと待て?本当に面倒くさいと感じないんですかね?それとも、感じていいても、あまり、言わないだけですかね?わたしには、見えないようにしているだけですかね?実は、みなさんも、けっこう、面倒くさいのではないですか?
という考えが、浮かびました。
「面倒くさい」と言う人、わたしに「面倒くさい」と感じていることを、見せてくれる人の方が、裏表がなく、心をひらいていて、信頼できる、というように感じました。プライベートだけでなく、ビジネスでもです。
で、そこで、さらに、「ん? でも、わたしって、もしかして、『面倒くさいと言わなさそうな人』に見えるように、見えるように、って一生懸命になっている?」という疑惑がわきました。
「面倒くさい」と言いながらやるのと、「面倒くさい」と言ってやらないのは、えらい違いだ。
「面倒くさい」ことでも、面倒くさくなさそうに(みえるように)やること。わたしは、仕事の時は、確かに、それを意識的にしている/いたかも。
面倒くさいことをやらない人たちがいると、一部の部署・人に面倒くさいことが押し付けられていくのを見たり、そういう人たちのせいで、うまくまわらなくなったことの修正やフォローに、わたしの仕事の大半の時間を費やすようになったり、という中で、わたしは、そういう人たちとは違う!!わたしは、面倒くさいことをやらないような人種ではない!!と、ムキになっていた気がします。
いつの間にか、面倒くさいことを、意識的に、率先して、面倒くさくなさそうにやろうと、心に決めた。すると、だんだん、顕在意識では、面倒くさいと思わないようになります。人が、面倒くさがることでも、面倒くさがらずに喜んでやるわたし。よしよし。それを、自尊心と優越感のエサにして、生き延びてきました。
でもね、たぶん、本当は、面倒くさいことは、面倒くさかったんです。とても。とても。面倒くさいと言ってしまえる人のこと、実は、少し羨ましかったのかもしれません。
仕事で、役割や責任をもっていることについて、面倒くさいからと言って、やらなくてもいいはずはない。面倒くさい、という理由で、仕事を他人に(押し付けやすい相手や弱い立場の相手に)押し付けるようなことが、まかり通ってしまうのは、とてもおかしいと思います。面倒くさいことも含めて仕事なのだから、それがいやなんだったら、その仕事やめたら?と、思います。
ただ、「面倒くさいと言いながら、でもやる」という手もある/あったんですよね、考えてみれば。「面倒くさくない、わたしは面倒くさいなんて言わない」、と、自己暗示をかける必要はなかった。
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うわわ。なんか、「面倒くさいことをやらない」人について書いているうちに、怒りで興奮するあまりに、ちょっと主旨がずれてきた。これは、これで書きたかったことなのかもしれないけれど。面倒くさいにも、いろいろあります。
ということで、面倒くささを感じない環境のことは、次回に続く。